January 29, 2005

試験

今回は試験についての話をしてみたい。試験と言っても、資格試験とかそういうものではなく、ここではあくまで授業に付随した試験を考えるものとする。

一般に、試験は「生徒の理解度を試す」ために行われる、と言われている。それ自体に反論する気は無いが、私にとって不思議なのは、「教員の教授力(うまい日本語が見つからないが、要するに生徒に教える力)」を試すシステムが、試験ほど厳格に整備されていないことである。

勿論、委員会等である程度教員の力量などは調べられているだろうが、正直な話あいまいである感が否めない。

どうして、教える側と試験する側が同じ人間なのか?

これは私の長年の疑問である。単に試験を作成する人と、教える人を別々にすれば教師の力をかなり厳格に測ることができると思うのだが・・・。勿論、「そんな点数で教える力を判断されては心外だ」と思われる方もいると思う。しかし、もしそう思うのであれば、生徒の能力を点数で測ること自体も見直すのが妥当だろう。

皆さんはどう思いますか?

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January 15, 2005

定理と証明

良く見に行くブログでこういうテーマが扱われていた。

定理の証明は覚えるべきか

私の結論を述べる前に、そもそも数学における定理とはどういうものか考えてみたい。

まず、「定理」がないと何が困るのか。仮にここに全知全能の神様がいたとする。神様は定理などなくても何も困らない。何故なら、神様には全てが明らかであるからだ。つまり、「定理」というのは、その主張を明らかと思えない人がいて、はじめて意味があるものである。

では明らかでないが成り立つ事柄は何でも「定理」とすればよいのかと言えば、それもまたおかしな話である。もしそんなことが成り立てば、世の中の数学の証明問題はほぼ全部定理という事になりかねない。よく使われる事実であるからこそ「定理」という汎用性の高い形でまとめる意味がある。

要は、「一見成立が明らかでなく」かつ「使用頻度が高い」ものが数学の定理として然るべきであると私は考えている。


前置きが長くなったが、「証明」という作業は「一見成立が明らかでない」ものを「明らかに成立する」ものに言い換える役割を果たしている。従って、「元々明らかな主張の証明」あるいは「読んでも理解できない証明」には意味がない。

「証明」を読む上で大切なのは、「不思議なこと」がどこでどう「明らかなこと」に変わったのかを意識すること、であると私は思う。論理を追うのは実は大して重要ではない。「不思議なこと」が「明らかなこと」に変わるためには、どこかに以前の自分では気づかなかった何か(当然これには個人差がある)があるはずで、証明を辿る中でそれを突き止めることこそが重要である。

なんか偉そうな文章になってしまいましたが・・・。まあいいか(^^)

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January 09, 2005

共同生活

昨夜、東京に来ていた大学時代の先輩と久しぶりに会い、いくつか話をしました。

そこで出て来たのが、「東京でも共同生活とかできるとしたらするか?」という話題でした。実は私は大学時代はずっと寮(基本的に四人部屋)に在籍しており、共同生活の経験はかなりある方ではあります。

実際寮生活は非常に面白かったですし、共同生活の魅力は知っているつもりですが、現在やるかと言われれば私の答えはNOですね。何故か。

「人生で一人暮らしをできる時間はおそらくもうそんなに残っていないだろう」というのがその最大の理由です。実際高校までは家族と共同生活していた訳だし、結婚すればやはり共同生活ということになるでしょう。そうなると、老後に運悪く一人になってしまった場合等を除けば、きちんと一人暮らしをできる期間というのは実は今ぐらいしか無いわけです。

勿論共同生活と一人暮らしのどっちが好きかと言われると、私は断然共同生活です。ですが、今は一人暮らしで出来ることを色々経験したいですね。

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December 16, 2004

メンテナンス

最近色々な所を故障して思うのは、メンテナンスの重要性である。「治療より予防」というスローガンがどっかにあったと思うが、まさにその通りだと思う。

自分の身体の各機能に関しては、定期的に自分できちんとチェックする癖をつけないと駄目だ。思わぬところで足元をすくわれる。まだ20代でこれだから、年齢が上がるとこういう現象はもっと増えていくだろう。

バランスの取れた食事を取るとか、ストレッチをしっかりやるとか、生活リズムを一定に保つとか、そういう基本的な部分は大事にしないと駄目ですね。今までは「そういう事はやれば得する」ぐらいの感覚だったのですが、多分「やらなきゃ確実にどっかで損をする」という結果になる気がしました。

後、私見ですが、一般に虫歯の多い人(私はかなり多い)はメンテナンスが行き届いていない傾向があるきがします。ご注意を。

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November 13, 2004

プライド

格闘技話ではなく、普通の意味でのプライドに関する話です。

最近知り合いと、次のような話をしました。

「理学部生は能力に対するプライドがあるが、法学部生は肩書きに対するプライドがある」

理学部生に関する部分は納得がいくのですが、法学部生の部分はあんまよくわからんです。この話をした本人は法学部生なのですが・・・。能力より肩書きが重要であるというのが、法学部とどのあたりで結びつくのかよくわかりません。意見キボンヌ。

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October 30, 2004

企業の研修と大学の授業

今週はなんか凄く忙しくて、更新する余裕がありませんでした。
今日は久しぶりの更新です。今回は、企業の新人研修と大学の授業について比較考察してみたいと思います。

私の通っていた大学のスタンスが特殊なのかもしれませんが、大学の授業は基本的に「できる人」にあわせていると思います(独立行政法人化直前はいくらか改善されたようですが)。そして困ったことに、授業内容に比べるとそれほど難解ではない問題が試験に出されたりするので、よくわかってなくてもなんとか単位は取れます。大学からしてみれば、そんなに出来の良くない人はまあ放置でいいかという考え方があるんだと思います。実際それでも大学として困ることはあんまり無いですからね。

一方企業の新人研修は実はとことんできない人にあわせます。特に中小企業ではこの傾向は顕著だと思います。学生の方は意外に思われるかもしれませんが、これは企業からしてみれば当然の話なのです。何故なら企業からしてみれば、「手間暇かけて採用して給料も払っている人間が最低限の事もできない」なんて事があっては困るわけです。もちろんどうしようもない人間は切るしかありませんが。

というわけで、金を払って通っている大学よりも、金を貰いながら通っている企業の方が教育には熱心なのではないかと私は最近感じています。

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September 22, 2004

天動説と地動説

「太陽が地球をまわっている」と考えている小学生が4割いる。というニュースが各地で話題になっているようです。この記事に対して、「最近の教育はどうなっとるんだけしからん」的な主張をよく目にします。

しかしながら、私は小学生に「地球が太陽の周りを回っていると考えても不自然ではない」ことは何とか説明できたとしても、「太陽の周りを地球が回っていると考えると矛盾する」ことをきちんと説明する自信はありません。

実際私自身、中学のときに「火星の逆行」現象をビデオか何かで見せてもらって、はじめて「太陽の周りを地球が回っていると考えると矛盾する」ことに納得できた気がします。こういう事をぶつぶつ考えていたら、非常に良い意見の書かれたサイトがありました。

環境問題、パソコン環境の整備と日々の雑感

私の書きたかったことが、100倍くらいうまく書かれています。こういう人がいるとほっとします。

最近どうもこの手の話が多く、その度にどうも違和感を感じてしまいます。

ついこの間も(結構昔かなw)円周率が3.14から3になるからどうこうという話がありましたが、円周率が3.14から3になったらどれ位困るのかきちんと説明できる人が、いったいどの程度居るんでしょうか。

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September 10, 2004

ゼネラリストとスペシャリスト

私が就職活動をしていた頃よく聞いた言葉に
「これからはゼネラリストではなくスペシャリスト
の時代だ」という類のものがありました。

本当にそうなんでしょうか?

例えば数学の教授とかだと、当然数学には
精通していますし、傍から見ると「数学の
スペシャリスト」という事になるかと思います。

しかしながら、一口に数学と言っても、
実はたくさんの分野があります。
(細かく分けると100を超える)
その中で、本当に1つの分野だけの知識
しか持っていない人というのは極僅かで、
大抵の人は、いくつかの分野にある程度
の知識を持っています。

つまり、外から見れば「数学のスペシャリスト」
であっても、中の世界から見れば、
大抵の人はある程度はゼネラリストな訳です。

もう少し別の言い方をすると、
イノシシ狩りだけうまくてもAOC勝てませんし、
点棒計算だけやたら速くても麻雀には
勝てません。

結局どういう事が言いたいのかと言うと、
ゼネラリストとかスペシャリストという
言葉自体にはあまり意味が無く、
その人の持っている知識なり能力なりが
有機的に機能しているかしていないか
という事が重要ではないのかという事です。

ご意見お待ちしてます。

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